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粗筋
アバンは連続バラバラ殺人事件の犯人を噂する町の声。
棺桶を持っているとか墓場から死体を運び出しているとか。
Aパート京極堂の屋敷の一室から。
まず京極堂が鳥口のことを言い当てたことの種明かし。
次いで京極堂プレゼンツ「超能力者・霊能者・占い師・宗教者」を教義や効能などでの分類の仕方。
Bパートも京極堂の一室にて。
関口がなぜこんなことを長々話すのか、という問いに、
京極堂は「こういうことを訊きたくて来たんじゃないのかい?」と返答。
その返答に図星の二人唖然。
関口は「京極堂が回りくどいのはいつものことだが、初対面の鳥口は面食らってしまうのではないか」と心配するが、鳥口は「師匠と呼ばせてください!」と京極道のことを気に入ったようであった。
京極堂の長い前置きが終わりやっと本題へ。
鳥口は最近巷で流行り始めた「御筥様」を摘発するかたちで記事を書きたいという。
というのも、以前鳥口の属する編集部に「ネタを売りたい」という男から連絡があり、鳥口はその男と会った。
その清野と名乗る男は御筥様に喜捨している信者のリストを持っていて、鳥口がざっと眺めると政治家や歌手などなかなかスキャンダルの匂いがする名が連なっており、鳥口は買うことに。
金額を訊ねるといくらでもいいから絶対に記事にしてくれとのこと。
その信者名簿は帳簿になっており女文字で氏名や住所が書かれ、脇に清野が調べて書き足した、喜捨したものとその額が書かれていた。
そこで鳥口は実際に御筥様のところへ取材へ行った。
相手が相手だけに取材というかたちはとらず入信したいという風を装っていざ御筥様のもとへ行くと、鳥口は京極堂に言い当てられたように自分の素性を御筥様に言い当てられ「何をしにきた!」と捲くし立てられ逃げるハメになってしまった。
尚御筥様が用いたトリックは京極堂の用いたものとほぼ同一である。
鳥口はめげずに近隣の聞き込みを行った。鳥口の努力の甲斐あって、御筥様の隣に住む風呂屋がとてもお喋りで色々収穫があったようだ。
風呂屋の話によると御筥様もとい兵衛(本名)の家は以前「箱屋」であったそうだ。
兵衛は箱造りの腕が非常によく、最初は木箱だけであったがそのうち鉄製の箱も扱い始めた。
その精巧無比な鉄箱は軍や大学から重宝され、なかなか儲かったらしい。
しかし戦争が始まると鉄が手に入らなくなり兵衛は箱造りを中断せざるを得なかった。
“箱にとり憑かれていた”兵衛は荒れた。
その後兵衛も戦場へ往くが無事帰ってくる。
そして一昨年くらいから「穢封じの御筥様」という看板を掲げ始め、風呂屋が気付いた頃には信者が集まり始めていたようであった。
風呂屋は兵衛とはもともと幼馴染であったが、風呂屋が最後に兵衛と話をしたのは兵衛が御筥様になる少し前が最後だという。
その最後というのは、風呂屋が家の大掃除をしていたら箱とそれに付随して手紙が出てきた。
その箱は兵衛の父の妻、つまり兵衛の母のものであり、それを兵衛が取りに来たときだという。
ちなみに兵衛の母は透視が出来ると近所では言われていた。何人か学者が訊ねてくるほどであったが堅物の兵衛の父がほとんど追い返してしまったらしい。
箱は高価そうな桐の箱で紐で縛ってあった。そして中には壷が入っていて、壷の中には漢字が書かれた紙が入っていた。
その漢字というのは“魍魎”であった。
ここで鳥口の風呂屋から聞いたエピソードは終わる。
この一連の話をほとんど黙って訊いていた京極堂は、
「参ったなあ。・・・・・・魍魎は苦手なんだよ」
と意味深長な台詞を残して、次回へ。
感想
えーと、まず主は先週こんなことを書きました。
>主は京極堂の座敷で延々超能力者やら霊能者やら宗教やらの話で30分潰してもいいと思ってますw
・・・・。
ふむ、実現するとは、ね。
はい正直非常に退屈な6話でした。
ここうまく飛ばしてストーリー組めなかったのだろうか。
場面はずっと京極堂の部屋だし、人物は座ってるしなんだよありゃw
鳥口が正座にしびれて「うへえー!」とずっこけたところ以外は、
アニメーションとしての使命が放棄されてた気がする。
関口の鬱描写は力はいってたかなw
地味〜に原作を圧縮してましたね。鳥口は始めての京極堂訪問でBパートの部分は喋らなかったはず。というかまだ調べていなかったはず。
確かに時間軸的にもここらで京極堂と鳥口を合わせとかなくてはならないというのは判るのだが・・・・。
うへえ。
薀蓄盛りだくさんの原作の1000頁をアニメに詰め込むとなれば1話分くらい薀蓄に使ったとしても・・・・まあ仕方ないのか・・・?
まあ伏線っちゃあ伏線であるわけだけども。
ただ内容的にはものすごくうまくまとまっていたと思います。
羊羹やら湯飲みやらを霊能やら超能力者に見立てた場面って原作にもありましたっけ?
ああいった薀蓄による考え方を本題とは遠回りだけど、根底に置くことで、この作品には厚みがでてくると思うので、やっぱりおいそれと飛ばすわけにはいかなかったのかな。
見返してみると関口の鬱全開のアップだったり、柘榴(ネコ)の動きだったり、人物は動かないけどなかなか工夫が凝らされていますね。
正直主は既読であるが故に「あ〜あそこの説明かあ」って感じで、以前までよりは真剣みが欠けていたかな、と。
で、6話の薀蓄を無駄にしない為にも、軽く自分の為のおさらいとしてまとめておきます。
まず京極堂が鳥口ことを言い当てたことについて。
京極堂が厠から部屋に戻るとき、丁度関口らが訪問し、千鶴子さんとの会話の内容が京極堂に聞こえた、というのが種の大元。
それに京極堂は以前に妹の敦子から鳥口のことを訊いていたことで、「あ〜これが噂の鳥口君か」と判った。
そして京極堂は神社の神主でもある。だから鳥口の実家の付近の神社で祀っているのは安倍清明であるから(出身が若狭であることも敦子から訊いていた)そこから鳥居の数なんかを推察した。
京極堂の言う「知っていることと判ることは別」ということはこういうこと。
で、宗教者・霊能者・占い師・超能力者の分類。
宗教者→
恩恵:神による奇跡での救済
目的:信者を増やす、布教
説明:修行・信仰をすれば恩恵が得られる
何故恩恵が得られるのか、と問われても神のおかげ、ということでこれ以上の議論の余地はない。崇められるのは神である。
霊能者→
恩恵:霊能者の力により救済される
目的:救済(信仰は本来無縁である)
説明:私にはそういった力があるのだ!
何故そのような力があるのか、という問われても「修行で身についた」といってもいいし、「私は神だから」といってもいい。いわば何でもあり。そういった「救済」が成功した結果が積み重なりその人に信仰ができることがある。だからその場合、崇められるのはその霊能力者本人。
占い師→
恩恵:未来の出来事を占うことでの救済
目的:営利
説明:十干十二支や四柱推命など占い師になるにあたって勉強した
ことを説明する。
自分で勉強した占い方法によって未来のことを指し示すのだから、占われたほうは文句の言いようがない。あたれば占い師は本物だと思うだろうし、もし悪いことを言われて外れたとしても、占い後の行動がよかったのだ、と言われればそれまでである。
超能力者→
恩恵:その能力がどのようなものかによって変わる
目的:上と同様
説明:超能力者に何故そのような力があるのか判らない以上どうしようもない。
こんな感じですかね。
御筥様をこれに当てはめてみると「霊能者」になるのは、何か神様を信仰しているわけではない、金を取って占いをしているわけではない、超能力の存在を公言していない、というこの点から分類。
彼は無料で人の不幸を祓っている。
ただし頼子の家でも言っていたように金に対する執着だとか、不正に貰った家などの財産によって不幸がもたらされている、ということでそれを御筥様のところに喜捨するともっと救われる、という巧妙なシステムになっている。
まとめてみて一応自分の頭では再確認というかすっきりした感じですがなにしろ色々細かい要素も多いところなのでなにか間違えてるかもしれないです。
明日使えない豆知識ってところですかねw
まあ占いは信じる要素など一つもない、ってことはよく判りました。
さてさて来週・・・ですが、
まさか・・・来週、魍魎の薀蓄で30分消化ってことは・・・ないですよね?(いや充分ありえるのだろうか)
メンヘラ頼子みたいよう。
あ、ちなみにtopは兵衛の荒れたときです。
CMでやっていましたが「日本史サスペンス劇場」で先週、魍魎の匣のAパートだった透視の霊能力とりあげるみたいですねw