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粗筋
アバン、久保竣公遺作「匣の中の娘」を関口による朗読。
一話から長々と垂れ流されてきた「匣の中の娘」であるが、
何故関口が読んでいるのか、それは稀譚社の担当小泉珠代に頼まれたからであった。
本編、今回は魍魎の話。京極堂は“魍魎は苦手”といいつつもよく喋る。
魍魎とは極めて曖昧な妖怪である、というようなことを京極堂は述べる。
発祥は中国らしいが、その中国でも確固たる言い伝えがない上、
日本に渡り字面からして更に曖昧になった。
魑魅魍魎と書けば妖怪全体のことを指す。
しかし魍魎と切り離して書くと全く別物になる。
「罔両」と書けば影の周りに出来る薄い影のこと。
「罔象」と書けば水から生じる妖怪を指す。和風に読むと「みずは」と読み、
「罔象女神」と書くと、「みずはのめのかみ」と読む。
魑魅が山のものであるなら罔象は水のものであるという一説もある。
他にも墓場から死骸を引っ張り出して喰らう鬼のような絵で表されたり、
以前出てきた火車に乗っているのが魍魎だという説も。
京極堂は多数の文献を思い起こし説明するが一行にまとまらない。
ここへ来て関口は何故京極堂が魍魎を苦手としているか判ってきた。
鬼であれば陰陽師である京極堂の専門であるが、
魍魎は鬼よりも古くもっと捉えどころのないやっかいな存在なのだ。
ここで京極堂は「魍魎」についての自論を述べる。
「罔象女神」は井戸の淵の神と言われている。
井戸は墓穴と同様に四方を壁に囲まれており、あの世への入り口とされている。
ここでやっと「罔象女神」と墓場で死骸を喰らう「魍魎」が繋がる。
そして井戸の淵、あの世への深い深い入り口にはぼんやりとした
影ならぬ影、「罔両」ができる。
つまりあの世とこの世を繋ぐ境界に湧くなにが禍々しいもの、
それが「魍魎」の原初形態ではないか、というのである。
一方御筥様の教主は魍魎について「心に囲いを作るとそこに魍魎が湧く」と説く。
「御筥様の教主は知って知らずか魍魎のイメージを的確に捉えているようだ」
と困り顔の京極堂。
清野によれば喜捨を増やす為に教主が何かしているに違いないといっていた。
「しかし不幸になるならお布施などしないのではないかい?」と関口。
そこには巧妙な仕掛けがある、と鳥口は言う。
まず教主は御祓いをするにあたって喜捨をしろとは言わない。つまりタダ。
しかし“タダにも多々”仕掛けがあり、不浄の財をなげうって清らかに暮らさない限り幸せは減り、幸せはやってこない、と説くのである。つまりもっと財産を放出しろ、ということで、これは一度はまると抜け出せない。一度喜捨して幸せが来ないならもっとお布施をしなくてはならない、と信者が考える為である。だからお布施の金額はどんどん増え、一方で買える幸せは減り(生活の貧困化を招く)、また喜捨額を増やさねば、と信者は考える。
しかし6話の定義にそって言えば、信者がそれで「幸せになっている」と感じるのであれば、第三者が文句を言う筋合いはない。つまり鳥口ら出版社の面々がいくら騒ごうとも無力。
関口はそのことを思い出して、もうこの話は終わりだと感じる。
しかし鳥口は意外な方向からの切り口で話を更に進める。
彼は言う、「御筥様の教主を霊能者としてではなく犯罪者として摘発したい」と。
彼は教主こそ“連続バラバラ殺人事件の犯人”と睨んでいるようである。
そして彼はしっかり裏づけを持っており、
それは警察の内部資料で失踪中の少女一覧であった。
それによると現在行方不明の少女13人のうち7人が御筥様の信者の娘となっている。
そして被害者のうちの一人は身元が割れていて、写真館の娘柿崎よしみ。
その母親は御筥様の信者で清野のリストには「娘がアブナイ」と書かれていた。
他の娘が失踪中の家にも共通点があり、それは“六、七月の喜捨額が少ない”ということであった。
教主は喜捨額を増やす為、目に見える不幸、つまり少女の誘拐を行っているのではないか、というのが鳥口の見解である。
しかし京極堂はこれだけではまだ犯人とは断定できない。
判断を下すにはもう少し御筥様の情報が必要という。
その情報とは「御筥様の御祓いの具体的な方法」。
どんなやり方でどんな呪文か、そしてどんな祭具を使うのか、である。
京極堂は僅かにこの件に乗り気のようで、関口にもとるべき行動を伝える。
新聞によるとバラバラ殺人の被害者の鑑識を行ったのは里村(京極堂らの共通の知り合い)のようであるから、彼に情報を流せとのこと。
そして名簿をよくみておくように、とも言う。
関口が流し目で名簿を見ていると、久保竣公の名があった。
京極堂は知り合いがいるのならその人に話を訊くのもいいというが、
「それは断るよ」と関口は拒否する。
最後に京極堂は釘を刺すように言う。
「研究所には近付かないように。君たちは知らなくていいことだ」と。
京極堂はそれ以上は何も話さなかった。
関口は帰って久保のゲラ刷りを読む・・・次回へ。
感想
ほうほう・・・またも説明回となりました。
主としては今回のほうが面白かったです。
「魍魎」についてかなり巧くまとめていたのではないかなあ、と。
まあ実際にはまとまっているわけではないのですが。
場面は相変わらず京極堂の一室でしたが、回想で結構動きましたね。
魍魎がざわざわ動いている感じが気持ち悪かった。
それと関口の合いの手が6話ではせっかちで的外れな感じでしたが、
7話ではうまく京極堂の話を促していました。
京極堂には「暇なものか!」と強がるも内心「暇だが・・・」
のシーンは、妙な間があって笑った。コミカルでしたねあそこはw
あと鳥口が何度か抜けたこといいましたが、見事にスルーされてましたねw
水妖怪→水羊羹と荘子→掃除、土産物の包装紙、それにタダと多々。
そういえば口癖の「うへえ」が一度もなかったな。
関口が警察の内部資料をどうして持っているのか、と訊いてなにか答えるかと思い気や、ニッっと笑っただけで喋り始めたシーンはなんか印象的です。
ところでアバンでも本編最後でも、唐突に「匣の中の娘」の朗読が始まりますよね。
関口の心の声なのか朗読なのか区別が付きづらい、というか「久保竣公遺作」のカットもでなくなってしまった。
最後に「不安になった」のは関口自身ではなく久保の文章で、“押入れの行李(荷物)の間に隙間ができて完璧ギュウギュウ主義の文中主人公が不安になった”ということだったはず。
んで気になるのが久保竣公という人間について。
以前からアバンで彼の“遺作”が朗読されてきたわけですが・・・。
遺作!?だって久保の名前は清野の名簿にあったし、稀譚社の小泉珠代が「匣の中の娘」を送ってきたことを考えると時系列的に久保はまだ生きてるじゃん!
これはもう死亡フラグどころではないですよw
遺作という事実を先だししたスタッフの意図が気になるところであります。
次回はもう8話。そろそろ動き出すのではないでしょうか。
榎木津がみたいぞ!